一昨日の報道番組のインタビューで、自民党の町村元官房長官が、原発事故を自動車事故になぞらえ、同等に扱っていた。
馬鹿も馬鹿、大馬鹿者である。
自動車事故は、利用者が責任を負うし、利用者が安全運転を順守すれば防げるもの。万が一事故が起こった場合も、不幸にして一方的な被害者になった方には申し訳ないが、その事故に関わった人ですむ話。
原発事故は、利用者ではなく、電力会社が責任を負うもの。事故が起きれば、事故そのものに巻き込まれた人だけでなく、その後長期かつ広範囲に渡って影響を与える。それは、人命・健康被害もあれば風評被害もある。今は世界も同情してくれているが、もう一度同じような事故を起こせば、日本という国自体の国際的信用の失墜も起こる。国際的信用という観点では、他にも今の行政では突っ込みどころ満載だが、それは別の話とする。
何より、その原発を維持運用するのが、自らの責任による損失を、説明責任すら果たさず利用者に押し付けようとする電力会社そのものである。現状での運転再開はあり得ない。
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凪パパは原発は必要だと思っていました。ただし、人類が核を完全に制御できるようになった上でという大前提の元で…です。実質は反対派ということになります。
なぜ原発は必要だと思っていたのかというと、火力発電と比較していたからで、核を適正に制御できうる限り、火力と違って環境破壊は起こらないからです。
ここにきて、その安全なら必要という考えも変わってきました。原発による利権で動く金を、再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱、潮力など)の技術開発、普及に充てればよいはずです。
電力不足が懸念され、産業が停滞するというのなら、エネルギー事業で利益が上がる仕組みを整えていくべきでしょう。実際、複数の企業にそういった動きが見られることはよいことです。
諸悪の根源は、結局は独占状態にある電力事業者と、癒着している官僚や原発地元利権者らに尽きるわけですが。
妻のかめたとも、町村一族が、原発の隣に引っ越して永続的に居住するなら、原発運転再開を考えてやらないでもないと言っていました。御意。
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